迷子引き受け処


 車には、 カーナビ。
 人間には、 携帯の地図アプリ。

 そういう便利なものが普及してから、 吾輩を取り巻く状況が変わったのだ。

 今や、 道を尋ねられるのは、 年に一度有るかどうかである。
 以前は、
 道を歩いていると、 通りすがりの人やら車やらから、 よく道を尋ねられたものだった。

 ボケっと歩いていると、 隣に車が止まる。
 窓が開く。
 道を聞かれる。

 自家用車があった。
 ワゴン車もあった。
 タクシーもあった。
 大型ダンプ に横付けされた事もあった。
 運転しない吾輩は、 四苦八苦したものだ。
 一方通行とは気がつかず、 教えてしまったことがある。
 申しわけない。
 歩行者にとっては、
 一方通行も、 時間による通行止めも関係ないから、 覚えていない。
 聞かれる方も大変である。


 旅行の途中、 生れて初めて訪れた土地で、
 隣町辺りから来たらしい軽トラックに 道を聞かれた。
 不思議である。
 吾輩のいでたちは、 明らかに旅行者のそれだ。
 大きめのボストンバック だって持っていた。
 近所では被らないであろうタイプの帽子 なんかも被っていた。

 どう見ても旅行者である。

「この辺に、 郵便局は ありましたっけ」
 おかしいだろ。 何故、 よりにもよって吾輩に聞く。

 しかし、 その軽トラは幸運だった。
 ちょうど、 友人に 旅先からの便り を出す為に、
 郵便局に立ち寄った直後だったのだ。
 なにかしら 理不尽な想いを抱きながらも、 吾輩は丁寧に答えてやった。
 納得がいかない。
 普通は逆だ。

 別に、 吾輩は「道案内はお任せください」という看板を出した覚えはない。

 もちろん、 歩行者からだって聞かれた。
 国内に居ながら、 旅行中の欧米人色々、
 出稼ぎに来ている南米人、
 でかい黒人、
 豪華なサリーをまとったインド人夫婦 から、
 ぼうっとしていただけで軒並み道を聞かれた人間も、 多くはいないような気がする。
 南米人には、 ついでにナンパされそうになった。
 だから、 彼が 出稼ぎ に来ていた事を知っている。



 ある時、 仕事先に向かう途中、
 早く着きすぎたので、 地下街のベンチで休憩していたと思いたまえ。
 不意に、 手に柔らかい感触を感じた。
 何故か、 4~5歳くらいの女の子が、にこにこしながら、 吾輩の手を握っている。
 何なんだ?

「どうしたの?」
 聞いても、 ただただにこにこと笑って、 うれしそうに手を握って来る。
「お母さんは?」
 聞いてみると、 ちょっと首をかしげるも、 相変わらずにこにこ。
「お父さんは?」
 ちょっと悩んで、 またにこにこ。
 困った。 全く見知らぬ子どもである。
 握ってくる手が、小さく温かい。

 仕事に遅れると言うのもあるが、
 手をつないだまま連れていったら 誘拐になってしまう。
 児童誘拐は重罪だ。
 刑務所に長期間服役する 心の準備がない。

 気になったが 仕方がない。最想说的话在眼睛里,草稿箱里,还有梦里。
 近くの商店に 事情を話して預けた。
 少なくとも、 通りすがりの吾輩よりは 対処法があるはずだ。



 また、 とあるショッピングセンターで、
 明らかに学齢前の女の子が 独りでいるのを見つけた。
 商品などに悪さをしていて、 傍若無人である。
「どうしたの?  お母さんは?」
 声をかけたら、

「迷子!」 と元気いっぱいに自己申告された。
 本人が言うなら間違いなかろうと、 案内所に連れて行き、
 名前を聞きだし、 館内放送をしてもらった。

 だが 母親は現れない。
 その間にも、 女の子は ちょいちょい悪さを楽しんでいる。
 目を離すと、 何かしらの被害が出そうである。
 その上 何が気に入ったのか、 吾輩をかまってくる。
 なかなかのおしゃべりだった。

 迷子ではなく、 捨て子の間違いではないのか。
 母親が ついに持て余したのか。
 尋常ではない放っておかれ具合に、 疑念が湧きあがってなお、
 母親は現れない。

 迷子を保護したつもりが、 捨て子のおもちゃにされてしばし、
 やっと現れた母親は、 悠然として、 言い放った。
「○○、 帰るよ」
 何事もなかったかの如く、 母子は消えた。
 後に残されたのは、 疲れてしまった吾輩と案内所の係員。
 少々呆然。

 もう一人、 印象に残る迷子が居たが、
 それは機会があれば、 改めて語ろうかと思う。

 最後に 言っておきたいことがある。